よんなーらいふ

筆者であるEmmyAnnの留学体験、アメリカの日常、趣味などなど

恵まれていたけど恵まれていなかった留学体験記(留学・前〜留学前の戦い①)

こんにちは、本日も投稿することが出来ました、EmmyAnnです!笑笑

(二日連続投稿です、褒めてください笑笑)

 

今回から兼ねてから書きたかった、高校留学の体験談を投稿していこうと思います!

この留学が今の私を作り上げたと言っても過言ではないほど重要な体験だったと思っています。

辛い事の方が多かったと思うけどそれが私を自立させた大事な体験です。

その話を今後どなたかの参考にして頂けたら思い綴らせていただきます。

 

 

私は高校三年生の時アメリカ・カリフォルニア州に一年間留学していました。

 

 

私が留学を決めたのは高校二年の春くらいだったと思います。

その時のことはかなり鮮明に覚えていて、今でもあの友達に感謝ですね。

 

プロフィール欄にも記述している通り、私は生まれも育ちも沖縄です。中部にあるとある高校に通っていて、当時はバスケ部に所属していました。その日は外練でストレッチをしながらチームメイト達とおしゃべりをしていました。特に仲の良かった子達と話をしていたのですが、そのうちの一人がこの留学の話を持ち出してきました。

 

「そういえばさ、県費留学受ける?」

そう聞かれた私はそういう留学プログラムがあるなんて事も知らなかったので詳しく聞くと、なんでも県が一切の費用をもってくれる留学らしく、ちょうどその年の春休みにアメリカに旅行に行って海外に興味を持ち始めていた私にとっては、眼から鱗の朗報でした。

 

私はその話に興奮し帰宅後すぐに両親に話しました。

 

しかし、

思いの外両親は留学に猛反対でした。母は少し神経質で心配症だったので予想はしていましたが、驚いた事に父にもかなり反対されました笑笑

(私のプロフィールを読んでもらえると分かると思うのですが、父はアメリカ人です笑)

 

父が言うにはアメリカは危ないところだからそんなところで知らない人の家にホームステイなんてさせられない、とのことでした。アメリカで育った父ですし、過去に色々あった事から末っ子で女の子の私をどういう人たちかもわからない人たちに預けるのは親として不安もあったのでしょう。

しかしどうしても行きたかった私は何度も両親と話して説得にかかった結果、試験に受かったら良い、とのことでした。

 

私が参加した留学プログラムは県費用留学で県が一切の費用を負担してくれるという、とても素晴らしいプログラムなので申し込み人数がかなり多く、しかしそれに対し受かる人数が少ないのでとても倍率の高いプログラムでした。その為、一次試験で中学、高校の成績表とエントリーシート、さらに二時試験でペーパーテストと面接があるかなり厳しい試験でした。しかもその面接は親も一緒に面接を受けるというもので母もかなり緊張していました笑笑

 

二時試験のペーパーテストはもうあまり覚えてはいないですが、かなり難しくやばいと思っていたことは覚えています笑笑

(私はその時点では英語での日常会話は大丈夫だったのですが、単語力はあまりなかったですね。今も単語は取り組み中です!)

 

そして、

全ての試験が終わり数ヶ月後に合格通知が届き、私は大興奮しました!

両親も私が頑張っていたのを見ていたので、留学を許さざる得なかったそうです笑笑

 

留学するということは丸々一年日本の高校の授業を受けないことになるので、基本皆帰国したら元の学年をもう一年するということになるので、高校生活が4年ということになってしまいます。母は、私に普通に卒業して普通に大学に行って欲しかったようなので、残念がっていました笑さらに言えば、春休みのアメリカ旅行がきっかけだったと伝えると、「え〜、じゃあ行かせなければ良かった〜。」とまで言っていましたね笑笑ごめんね、お母さん!笑

 

こうして晴れて私は留学行きのチケットを手に入れました!!!

 

しかし、ほっと一息ついたのも束の間、戦いはまだ続きます