よんなーらいふ

筆者であるEmmyAnnの留学体験、アメリカの日常、趣味などなど

恵まれていたけど恵まれていなかった留学体験記(留学・後〜留学先での戦い①)

こんにちは、EmmyAnnです。前回までで留学前の話は話終わったので、今回からは留学先の話をしたいと思います。

 

留学に行くことを夢見ている人やこれから行くことになって胸を躍らせている人には悪いですが、結論から言いますと、私の留学生活は正直7:3辛さ:楽しさでした。正直私は家族や友達と離れても、一年程なら全然余裕だろう、と留学前は思っていました。ですが正直留学先ではとってもホームシックで4ヶ月目くらいから本当にずっと沖縄に帰りたかったです…最初にこういうことを言うのは皆さんに留学の大変さを知ってもらいたいと言うのと、とっても楽しかったと言う人もいる反面、かなり辛い体験や寂しい体験をした人もいると言うことを知ってもらいたいからです。しかし、私は寂しい思いをしたといってもあの一年間の体験は確実に私を成長させたと胸を張っていえます。もしもう一度過去に戻ってやり直せるとしても、もう一度留学をしたいと今でも思っています。なので、もしこれから海外留学をしたい、新しい環境に身を置きたい、と思っている人たちがいるなら、私の体験を活かして欲しいと思っています。

 

では本題で、私は高校3年の七月くらいにカリフォルニアに出発しました。私のホストファミリーはとても暖かく迎えてくれました。とても緊張していましたが、会話がスムーズに行かなかったりどもったりしても、温かく見守ってくれました。また、私の誕生日が到着後すぐにあったのですが、それもお祝いしてくれました。私は本当にこの人たちがホストで良かったと思っていました。

 

ですが、問題は学校でした。私の通うことになっていた高校は、所謂マンモス校と言うもので、授業が被る人もいず中々友達ができずにいました。ご存知の方もいると思いますが、アメリカの中学は2年制7th gradeと8th grade高校が4年制9th(freshmen), 10th (sophomore), 11th(Junior), 12th(senior) gradeという風に分けられています。また、日本の高校と違い、私立でない限り、地区ごとに学校が分けられているので、高校受験もありません。その為、小学校から高校まで一緒、中学から一緒という人たちがほとんどです。引っ越してきたとしても、四年制なのでseniorになる頃には皆親しい友達やグループが完全にできている、という状況になっています。そんな状況下で、さらに私はその頃とてもあがり症の人見知りだったので、自分から話すことも中々できず、話してもみんなすぐにグループの子達の会話で盛り上がり、着いていけない、という状況でした。しかも、その高校はマンモス校の割に設備があまり良くなく、進行形で増築中だったのでお昼を食べる場所も中々確保できずにいました。運よく私のホストマザーがその高校の教員だったので、彼女の教室で最初の方はよくお昼を食べに行っていました。もう本当に悲しくて自分の人見知りさを恨んでいました。

そんな中、1ヶ月くらい経ってきた頃、他の州の留学生の子達がSNSで地元の友達と遊日に行ったり部活動をしているのを見て、とても羨ましく思い、そしてとても悲しくなっていきました。なんで皆楽しそうなのに私は友達の一人もできないんだろう、と思っていました。しかし、嘆くだけなんて何にも変わらない、と思い、その子たちにどうやって友達を作ったのか、とか現地での人付き合いのコツとかをたくさん聞きました。そのうちの一人に、いつも笑顔を絶やさず、目が合ったら微笑みかけたら印象良くなるよってアドバイスされて、次の日から早速実践してみました。それから二日くらいで一つのクラスの子たちに声を掛けてもらえました!なので、この笑顔と微笑みかけるっていうのは今でも実践しています!オススメ!

それからはこの子達とクラスで話すようになり、クラス外でもホストマザーのクラスの子で日本に興味ある子たちに紹介してもらえたり、他のクラスでも話す頻度が増えて状況はかなり良くなっていきました。ハーフなのに他の日本人留学生にアドバイス貰うとか、ちょっとウケますよね笑笑でも、アメリカで住んだことなかったりアメリカンスクールに通ったことのないハーフなんて所詮この程度です笑結局は環境が大切ですね。

 

この頃はこれからもっともっと良くなるかも!ととても胸を踊らせていたことを今も覚えています笑笑ですが現実はそんなに甘くありませんでした。

 

ということで、続きは次回に続きます。乞うご期待を!